 | 冨田渓仙 松林観月図new 絹本着色 絹装 共箱 渓仙の画には独特のリズム感と不思議な昂揚感がある。この画の場合は、臨場感といってもいい。縦に伸びる松の木に沿って首をあげ、月を見上げる観者の視線は、画面下に談笑する二人の視線と合体してそのものである。渓仙は都路華香に四条派を学んでいるが、独特の画風で知られる。華香からは型にとらわれず自由な研究を好む独立の道をこそ学んだのであろう。... |
 | 正岡子規 短歌new 紙本 台貼絹装 金切箔・金砂子散短冊 寒川鼠骨箱書 『読売書法会創立二十五周年 「雨中庭前即興 もろ繁る松葉の針の尖りはの とかりしところ白玉むすふ 常規」
当歌は『竹乃里歌』に採録されているもの。繁っている松の葉の先に雨の滴が丸く溜まっている。それを「白玉を結んだようだ」と詠むところに子規の行き届いた歌人の目がある。松の緑に、白玉の白を配する技巧は、王朝の美意識に通じるものがある。まさに子規が非難した『古今集』の美的世界である。しかし、子規のそれ... |
 | 田能村竹田 丹楓図 紙本着色 布装七絶二行賛文政9年50才『双軒庵目録』(昭和9年1月20・21日下見・1月22日入開札 於:東京美術倶楽部)所載並添付 色づき始めたばかりの楓が秋雨の中散ゆく姿を淡雅な筆致で描き出す。
賛文によると昔瀬戸内を舟で郷里に帰ろうとするとき、ふと立ち寄った寺院で見た風景を詠んだもの。その款記からは文政9年の春尽(3月31日)の3日前、すなわち3月28日に描かれたものだという事がわかる。
本作は竹田、山陽のコレクションで名高い松本雙軒庵の旧蔵品。
雙軒庵松本松蔵氏は現東洋紡や南海電鉄などを興した関西政財... |
 | 小林古径 夏頭小景 絹本着色 小林通書簡添付 共箱 古径の代表作の一つとして知られる大正元年の第六回文展《極楽井》は、古径の歴史画の集大成と位置付けられる作品である。それは大正浪漫主義という時代思潮を背景として生まれた、ロマン的な薫りを漂わせる新しい画風の第一歩といえる作品であり、その流れを汲む本作品も、やや気怠さを感じさせる片ぼかし風表現を用いながら時代性をよく表している。おそらくは梶田半古塾で同門であった山内神斧夫人の実家があった奈良葛城の忍... |
 | 榊原紫峰 孟宗竹猫図 絹本着色金泥 共箱 大正7年、自由な個性を発揮することを目的として設立された国画創作協会第一回展出品作≪青梅の頃≫は、寺の一隅の樹木草花を主題として、西洋絵画への写実表現や琳派の装飾性、円山・四条派の伝統技法や中国古画からの摂取など、あらゆる絵画の研究の基礎となって生まれたものであった。≪青梅の頃≫以降も、大正中期から昭和初期にかけて西洋画の特質と伝統的な日本画の融合に腐心した作例が多く、本作品においても、孟宗竹の... |
 | 金島桂華 牡丹 絹本着色金泥 共箱 栖鳳門下でも屈指の花鳥画家として知られる桂華の作品である。
その人柄と同じく生真面目な桂華の作風は、時には面白みに欠けるとの批評を受けるが、桂華自身はそれを承知の上で、自己の信念に基づき生涯四条派の正攻法を貫いた画家である。本作は昭和20年前後50歳代前半に描かれたもので、牡丹の図柄は昭和23年第4回日展出品作品など度々描く得意図柄である。「花王」とも尊称される豊麗な花弁を白緑の葉が覆い、豪... |
 | 後奈良天皇宸翰 見わたせハ云々和歌 「見わたせハかすみし程の山もなし ふしミのくれのさミたれのころ」和歌『続拾遺集』権僧正実伊和歌 金泥下絵・金霞・金打曇入短冊 古筆了眠極添付 後奈良天皇(一四九六〜一五五七)は、第一〇五代天皇。名は知仁(ともひと)、後柏原天皇の第二皇子。和歌・詩文を能くし、『御集』や日記『天聴集』がある。弘治三年、六二歳で薨。
当軸の歌は伏見の里の五月雨の頃、それも夕暮れ時、遠くの山々を見渡すとぼんやり霞んで、見える山もないと詠んでいる。つまりたれ込めた雨雲によって山の片鱗も見えないと詠むのである。五月雨の時候の陰鬱な感覚が暮色の中でみごとに捉え... |
 | 村上華岳 暹羅之踊 紙本水墨 入江波光箱書 暹羅は「シャム」、すなわちタイ国の旧称である。大正七年に創立された国画創作協会の主要メンバーのうち、土田麦僊、小野竹喬、野長瀬晩花、そして本作品の箱書をしたためている入江波光は欧州遊学を果たしているが、榊原紫峰と村上華岳は一度も国外へ出たことがなく、従って「暹羅之踊」と題された本作品も、華岳がタイへ写生旅行に行った成果というものではない。しかしながら華岳は、京都市立絵画専門学校在学中の明治末年に... |
 | 後陽成天皇宸翰 霜かれし云々和歌二首 「詠春風草又生倭謌 霜かれし朝けの風もいつしかに 春めきにける野辺の若草水石歴幾年 さゝれ石の巌となりて幾世経ぬ 雫もつもる水のなかれは」和歌二首 田山方南釈文添付並箱書 後陽成天皇は第107代天皇。名は周仁、幼名は和仁。豊臣秀吉の全国平定・徳川家康の政権確立という時期に在位、天皇をはじめとする朝廷社会の復権につとめた。舟橋秀賢に漢学を、細川幽斎に和学を学んだ。元和3年(1617)崩御、47才。
第一首は、徐々に暖かくなり、春が近づいている様子を、若草の芽吹きとともに早春の景として詠む。次に、第二首では、前半は石について、後半は水について詠まれており、小さな石... |
 | 益田貞子画 益田鈍翁賛 春の野 絹本着色金泥 「新室にかまのにえたのしまむ 窓にハ月のかけをやとして」短歌賛 雲母刷小色紙 王朝風の雅な雰囲気の漂う一作。賛は、実業家であり、また茶人としても名の知れた鈍翁によるもの。大意は「窓辺には月光が差し込み、新しい座敷に釜の湯が煮えたぎっている。さて、お茶を楽しもう。」となる。この「お茶を楽しむ」というのも奥が深く、釜の煮える音だけが響く静寂の中で自己と向き合うといった意味合いもあろう。また、「窓辺」からは「窓梅」という言葉が連想される。
画は鈍翁長男の妻である貞子によるも... |
 | 頼山陽 寒渓煎茶図 紙本水墨 自題賛 市島春城題簽 山陽は数少ないモチーフを繰り返し使って絵を描く。その点は浦上玉堂に近い。作品のほとんどが山水画であることも似ている。ただし、玉堂の世界が陶酔的だとすれば、山陽の世界は覚醒的と言える。山陽自身が絵について使った比喩を借りれば、酒と煎茶の違いにも譬えられるだろう。「寒渓煎茶」と自ら題するこの作品では、煎茶は比喩ではなく、具体的な情景として描かれている。ただし、さりげない添景であり、主役はやはり山水。... |
 | 後西天皇宸翰 淡路島云々和歌小色紙 「淡路島かよふ千鳥の鳴声に いく夜目覚ぬ須磨のせき守」『金葉集』源兼昌和歌 五番目の勅撰和歌集である『金葉集』に採られ、『百人一首』の内の一首としても良く知られる源兼昌の和歌が色紙に散らされている。
「須磨の関」は現在の兵庫県神戸市須磨区の海岸の辺りを指し、既に『万葉集』にその詞が見える。『源氏物語』の須磨巻により、その歌枕としての位置づけがより明確になり、「月」や「千鳥」等の詞を詠み込むことで、より一層叙情性を増した。「須磨の関」は平安後期には廃止されていたという... |
 | 司馬江漢 六歌仙図 絹本着色 寛政10年61才 『司馬江漢生涯と画業』並『司馬江漢全集四』所載 江漢の珍しい大和絵六歌仙図である。司馬江漢は、日本の洋風画の草分けとして著名である。江戸時代中期にすでに油彩画を描いていた。一方で、このような伝統的な大和絵も描いたようである。
六歌仙とは、紀貫之が、「古今和歌集」仮名序で挙げた六人で、僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主を指す。貫之の批評の多くは辛辣なものであるが、現在でもこの六人は、和歌の名手と謳われている。
「... |
 | 藤村庸軒 欲得金鱗臨水涯云々七絶六行 「欲得金鱗臨水涯 碧潭用網客厨加 松江鱸膾熟熊掌 滋味比渠苦菜茶」「遊随念寺得車坂鮮魚」七絶六行 元禄4年79才 古筆了意極添付 大倉好斎箱書 江戸時代前期の茶人で、庸軒流の祖である藤村庸軒の七言絶句。最晩年の元禄9年(1696)、84歳の時の作。起、承句、夢の中で人と別れた、その人への思いを書き表そうとして涙が溢れる、と詠む。転句「華表」「帰鶴」は漢代の人丁令威が仙術を学んで鶴と化し、故郷に帰って来て「華表(=路傍にたてた標識)」に止まっていたが、やがて天に昇ったという故事を踏まえる。従って「待つに由無」きその人は、今は亡き人と解すべ... |
 | 会津八一 猫 紙本水墨 「枕辺夢去心亦去 醒後夢還心不還」七言二句四行賛 宮川寅雄並山田正平箱書 猫を愛し、猫の芸術家と呼ばれた彫刻家の河村目呂二(龍興)は、会津八一の描く猫を見た時、「これほど少い筆でこれほど巧みに猫を描いた絵を見たことがない」と言ったという。水墨のみの数少ない線で描かれた、背中を丸めて気持ちよさそうに眠る猫の姿からは、日射しの暖かさや、優しく吹く風もが感じられ、その愛らしい姿に対する八一の愛情が伝わってくる。
大正5年頃、伊達俊光は八一に「酔古堂剣掃」を送る。本作品の... |
 | 山口素絢 大原女 絹本着色 『西松不朽庵売立目録』所載 京都の北郊の八瀬、高雄、大原の里などから薪や木工品を洛中まで行商にやってくる女性のことを大原女と呼んだ。古来よりその優雅な売り声と風俗が好まれ、四条円山派をはじめとする画家たちの格好の画題とされてきた。背中一杯の荷物を積んだ馬とうっすらと赤みを帯びホッコリとした大原女の表情からは、今まさに山里から下りてきて商売を始めんとする場面であることが見てとれる。応挙十哲の一人に数えられ、市井の風俗を描くこと... |
 | 北村季吟 月をめつる云々和歌 「詠月下交遊 月をめつるたかきいやしきかはれとも こゝろハおなし言の葉のとも」和歌懐紙 古筆了意極添付 「月下の交遊を詠ず」と題し、月の下で行われた歌会の様子を詠んだものであろうか。月を愛で、その思いを託した歌を詠みあう。美しい月の下では、身分の上下は全く関係ない。なぜなら月を美しいと思う心は誰でも同じだからだ、と詠んでいる。
北村季吟は、松永貞徳に俳諧を学び、貞門派の一人として活躍。飛鳥井雅章に歌学を学び、多くの注釈書を残すなど多方面に渡って活躍した。... |
 | 徳岡神泉 蜜柑 色紙額 紙本着色 共箱 徳岡神泉の画風の特徴として、次第に背景を略した象徴的画面構成になっていくことがあげられる。これは作者が対象と自己との間を見つめ、対象即自己となり、遂には自己もなく対象そのものもない世界という境地を切り開いてゆく過程でもある。この蜜柑と題された作品もそうした作風が確立されていく段階でのひとつではないかと考えられる。画面右側から伸びた青々とした葉をもつ枝に、蜜柑がほぼ中央に決して大きくはないもののしっ... |
 | 呉春画 六如慈周・菅茶山賛 雲間月 紙本水墨 「暁月暫飛千樹裏 秋河隔在数峰西」唐・韓*(友+羽)「宿石邑山中」之一節七言二句二行賛(六如)/「道人書此亦高致拈出唐詩勝自題」識語賛(茶山) 『山王荘贓品展観図録』所載 いわゆる「大仏落款」と呼ばれる頃の作品。寛政年間以降の作であるが、この時代呉春は年紀を記すことが極めて稀なため描かれた年は詳らかではない。しかし着賛した六如慈周の没年が享和元(1801)年であることから50歳前後の作品と言える。
作品に年紀も残さず、師の応挙の死後以降、目立った足跡が伝わっていない呉春の後半生はある意味謎めいたものがある。しかしこのような軽妙な洒脱感と爽やかな季節感を感じられる... |
 | 大江切 伝藤原定頼筆 「なつひきのてひきのいとをくりかへし ことしけくともたえむとおもふな」「さとひとのことはなつのゝしけくとも かれゆくきみにあはさらめやハ」『古今集』和歌二首断簡 金砂子散雲母刷料紙 『古筆学大成 第一巻』所載 大江切は『古今和歌集』の断簡で、命名の由来は定かではなく氏姓大江氏の名が連想されるばかりである。現存する断簡が巻11〜17・19・20に限ることから、もと上下二冊本のうち巻下の一冊が江戸初期頃に伝世し切断四散したものと推測される。
本断簡は巻第14恋歌4に相当する部分である。料紙は楮紙に微細な雲母砂子を撒き金箔を散らしたもので、優美で品格の高い書風、料紙の装飾の技巧などから『本願寺三十六人家集... |
 | 西郷孤月 楼閣山水 絹本水墨 「松本が生んだ日本画の鬼才 西郷孤月名作展」出陳並同図録所載 『西郷孤月画集』所載 画面中央に幾層にも重なる楼閣が聳え立ち、それを包み込む山塊はあたかもS字のような曲線を描いて、視線を遠景へと誘ってゆく。急峻な谷間を走ってきた渓流も、川幅が広くなるこの辺りでは穏やかさを見せはじめ、川沿いの道を一人の老夫がゆったりと歩を進める。この老夫は楼閣の主ではなく、画面右中ほどの岩かげに僅かに屋根が見える陋屋へ帰るのだろう。季節はいつか、時刻は朝か夕方かと、画中に心を遊ばせる観者の想像がとめ... |
 | 小田海僊 薛霊芸図 絹本着色金泥 文帝所愛美人薛霊芸 薜霊芸とは魏の文帝が寵愛した美女の名で後に夜來と改めた才女のことである。色彩は華やかで当時のモダンな異国文化が幅広く庶民層にまで浸透していたことが窺われる作品である。小田海僊は京へ上り呉春の門に入り四条派の画家として出発したが、後に頼山陽、田能村竹田などの当時一流の文人達とも深く交流し南画の技法も修め、山水、花鳥、人物の各ジャンルを器用にこなし当時の京都画壇においては大家として活躍した作家である。... |
 | 鈴木松年 暗流蛍火図 絹本着色金泥 共箱(大正4年) 「もの思へば沢の螢もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」(『後拾遺集』巻二十神祇雑六)と和泉式部が詠んだように古の時代から歌人たちは切なる慕情を、はかない螢の光に託してきた。この作品もまた、単なる叙景に留まらない。川面に映る光など細部に至るまで忠実に表現しながらも葦の向こうの暗闇に不思議な奥行きを感じさせるのである。
ダイナミックな画面構成の作風を展開した松年。この作品では夏の夜の一場面を繊細... |
 | 松永貞徳 夏ころも云々和歌懐紙 「詠更衣和歌 夏ころもあらしやこめてをりつらむ 香さへのこらぬ花染のそて 長頭丸」和歌懐紙 大倉好斎極添付 松永貞徳は、連歌師松永永種の次男。九条稙通・細川幽斎等に学び、俳諧を文芸の一形態とし,貞門流派を確立。和歌・歌学・狂歌・連歌の各分野に足跡をとどめた。
当軸は、更衣を詠んだ和歌である。夏の衣は織目が“粗い”とよみかけ、“嵐”を込めて織ったからであろうかと掛けている。そして、嵐をこめて織られた花染の袖には、香さえも残らないと詠うのだ。貞徳の家集、『逍遊集』巻第二夏歌に入集。... |
 | 春日懐紙 大中臣泰尚筆 詠二首和歌 紙本・絹装 久曽神昇箱書 春日懐紙は、鎌倉中期、春日大社や春日若宮の神官および興福寺の僧侶らによって詠まれた和歌を懐紙にしたためたもので、懐紙の歴史の上では、平安末期の一品経和歌懐紙、鎌倉初期の熊野懐紙と並んで著名な遺品となっている。
春日懐紙の作者としては中臣祐基・同祐方・同祐有・大中臣親泰・同泰尚・縁弁・学詮・明算など、現在、約30名ほどが知られているが、本懐紙の作者大中臣泰尚については伝未詳。
なお、本懐紙... |
 | 榊原紫峰 「雪中竹小禽」 紙本着色金泥 共箱 雪の舞う竹林の中、葉先に積もった雪を落としながら、一羽のホオジロが枝に止まっている。ぴんと立つ尾や視線の動きからは、一瞬の後には飛び立ってしまうであろうという緊張感が伝わってこよう。 「雪は沈黙だ。無言の詩だ。音なき音楽だ。雪の降る前の予感。内部に何ものかゞ動いてゐるやうな雪空。遠くから雪といふものゝ感情、音でも声でもない或る力が聞こえ、心に迫ってくる。それが既に性格的に私は好きなのだ。」(『紫... |